有平糖のはな

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クリスマスが明けると、花屋やスーパーの店先にチューリップが並びます。
スウェーデン人はチューリップが大好き。15日は「チューリップの日」でしたし。

可愛らしいこの花が私は好きです。
生家の庭で、母が色々なチューリップを植えていたのを思い出します。
切り花は、花壇のチューリップと違い、だいたい1週間で枯れてしまいます。遊びに来たお友達に頂いたチューリップが枯れてしまってるのに気づいて、捨てようとしたら、カサカサになった花弁がわさっ…と落ちました。

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子供の時集めていた、薄紙の様でもあるし、お茶の時に、お懐紙にとって食べる、有平糖みたいでもあります。

すぐには捨て難くなってしまい、ガラスの小皿にとって、台所のテーブルで命の余韻を楽しませてもらいました。


(それにしても、考えることはやはり食べることばかり。。。笑)
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# by nannjyoutamami | 2014-01-24 04:17  

トーマス氏とクヌート氏。

ヨセフにマリア。キリストにサンタ・ニクラウス。メルキオールにカスパールにバルタサール(東方の三博士たち)…
クリスマスの聖夜物語には欠かせない人たちですが、スウェーデンではこれにもう4人、加わります。聖ルシアに聖スタッファン。そしてトーマスにクヌート。

トーマス氏とクヌート氏がいないと、どうにもならないものがあります。
それは、クリスマスツリー!

この国のカレンダーを見ると、12月28日を除き、日付、曜日の後に名前が書いてあります。カソリックや英国国教会暦を見ると、その日お祀りする聖人の名前が書いてありますが、スウェーデンのそれはフツーの名前。以前は自分の名前の日は誕生日同様お祝いしたらしい。
話が長くなりましたが…
ツリーにする木はいつ採ってきても買ってきてもいいらしいのですが…
飾りをする日は、伝統的にはイヴ前日の23日。トーマスの「名前の日」。
ツリーにする木は飾り用の水入れ付きの台に取り付ける前にお水をしっかりあげないと、一気に落葉し、ハゲハゲになります!
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もちろん第1アドヴェントから飾る家庭も多いですが、おばさんはトラディショナル!23日の夜、せっせと飾りました。
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この辺りの田舎の習慣かも知れませんが、ツリー用のモミの木は、誰かの森から黙って「盗んでくる」のが伝統なのだそうです。でも木も弱いし、鉈や斧が怖いし、ヘタレの私、仲良しのお友達に甘えて、分けてもらうことにしました。
12月の中旬、友人の持つ森に連れて行ってもらい、目ぼしい木を指差して「これがいい!」と甘え、友人に伐採させて、一緒に担いで下山しました。(ついでに暖炉用のマキのお土産までいただいたりして…)
ちゃんとお風呂に張ったお水をあげたせいか、20日間、青々としていました!
くるみ割り人形でご存じの方も多い、「三博士」がやってきたという十三夜の日に片づけてもいいらしいのですが、20日目の今日、片すのが伝統的らしい。夏至祭の様に、ツリーの周りを輪を作ってわいわいクルクル踊る(リングダンスと言います)のがホントらしいけど(「ファニーとアレクサンデル」にそんなシーンがあった記憶が。。。)、私は和洋折衷で寿司大会をしたのである。。。(何が伝統だっ)

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寿司をおとりにして、民族舞踏のプロの友人、そのGFの民族音楽もやるフルート奏者、いつものスペールマン仲間、さらにお遊びダンスもしたくって、お子ちゃまたちも招待したのだけど…
私も含め、ものすごい量のお寿司をものすごい勢いで食したために、全員コーマ状態になり、リングダンスどころではなくなってしまったのであります。

なにはともあれ、深夜12時も過ぎたので、飾りもしまい、外に運び出しました。
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最後まで綺麗だったけど、こんなに葉が落ちてました。仕方ないので夜中に掃き掃除。
これ、素足で踏むとすごく痛いのであります。

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御役御免となった元ツリー、台所前の植え込みに立てかけました。
なんだか元から生えているようで、なかなかいいぞ! と密かに思ったりして。やっとしっかり寒くなり、深々と降る雪にはモミの木は似合います…。

生ゴミで捨てるのが手っ取り早いのでしょうが、4月末ワルプルギスの晩の"どんど焼き"に持って行ってあげようかと思ってます。
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# by nannjyoutamami | 2014-01-13 09:47  

すす払い

昭和の時代の話ですが。大学時代、計算してみると通学しなければならない時期は約半年で、後は休みだったということに気がついて、さぼることの方が多かったくせに「なんだよぉこれは月謝儲け過ぎ!」と思ったことがありました。
夏休みは大抵試験明け7月から9月末まで。
とはいっても9月になってしまえば、もう夏休み気分でもなく、学習意欲もないわたくしはバイトに明け暮れてました。休みの日には友達や当時のBFと盛りを過ぎた観光地にドライブにいったり。
果物狩りでにぎわう甲信越の初秋はとても素敵でしたが、忘れられてしまったようにがらっと「日常生活」にもどった湘南の海はもっと素敵でした。
ちゃんと暮らしを立てるようになったらこういう海辺の町に住むんだ! と密かに思ったりしましたが、そういうことはなく、30近くまで親元で暮らし、家を出て20年以上経つ今も海辺の町に住めたことがありません(??)

海岸にも人が少なくなり、サーファー君たちや犬を連れたおじさんおばさんがいるくらい。
落ちているサンオイルの空き瓶や壊れたサングラスみたいなゴミですら、なんとなく「切ない夏の思い出」であり、メランコリックでよいなあと思うような静まり具合でした。

ぽつんぽつんとまだ撤回回収されていない海の家の建物が、海岸と道路のふちにそってまだのこっています。
誰もいないその残骸のような海の家のの建物に入って、縁台のようなところに座って海を見るのは気持ちがよかったです。
天井に張られたすだれ(昭和ですね!)もところどころ壊れていたりして、そこから入ってくる日差しも、明るいけどもう次の季節のものでした。


久々に開けてみた自分のブログをちょっとだけ読んでみて、そういう初秋のことを思い出しました。

次の季節、次の年がもう数日でやってきます。
伝統に乗っ取って(えへん)23日にツリーを飾り、仕事が明けた26日午後から私はクリスマス休暇モード。
とはいっても、ばたばたして忘れていたものを片付けたり、連絡をしていなくて失礼していた方々に慌てて年末のご挨拶メールを入れたり。送っていない年末のプレゼントもこれから送らないと・・・とどたばたしています。

そういう煤払いをしておけば、きっと良い年がくるかもしれないな、と思うのは私が壮年の域にしっかり慣れたからかもしれません。

秋についに大好きだった祖母が昇天しました。 105歳とちょうど半年。
キリスト教の感謝祭の祭日に亡くなり、ルシア祭の週末に納骨でした。
さっすが、ヒメ!
母の実家は墓所を麻布から京都に移したので、納骨は『T家納骨ツアー』だったらしい・・・
美味しいものを囲んで和やかにお食事会をしている写真が従姉妹たちから送られてきました。


生き仏様が先。

私の父方の祖母の遺言らしいけど、どうも母方の方もそういう感じのようです。
でも、よく生きなければよく死ねない。
よく死ねなければ、自分の命になんだか申し訳ないなあ、と都合良く思ってしまいます。
でもそれでいいんじゃないかなあと、婆は思うわけです。
私たちがよく生きていなければ、もういなくなってしまった祖母も両親も つまらないだろうなあ・・・と思う年末なのであります。



来年はもう少し日記ブログ、ちゃんと書こっと。



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# by nannjyoutamami | 2013-12-28 20:26 | 日常生活  

しゅくだいは、ロンド

いろいろなことは多分「ロンド」のようなものである。
楽しく楽しく踊っているうちに、次のテーマがやってくる。次の流れがやってくる。
主題とは違う流れになってしまう。
踊り手は踊り続けなければならない。
くり返し記号からもう一度やり直して、あっそうかこうだったのか・・・とやっていると、最初の主題がまた戻ってくる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、最終楽章がやってきて、最初の主題を豪華に謳って最後の和音になる。

(踊り手はそこでパートナーと目を合わせてきれいなお辞儀をする!)








この曲を、私は子供部屋にあったFMラジオで初めて聴いた。少し開けた窓から虫の音が聴こえていたような記憶もあるから、おそらく小学校6年生の秋だったのだろう。そのころ私は「バロック音楽の楽しみ」という深夜のラジオ番組に夢中だった。
聴いたとたんに、すごく幸せな気分になった。
話はそれるけど、”私たち”が「フツーだ」と考えるスタンダードで生きている人間は地球全人口の10%にも満たない、統計によっては5%にも満たない、という話を聞いたことがある。
恐ろしい話であるし、エゴイストの私は自分の運命に感謝せずにはいられないのだけれど、ひょっとしたらそういう物質的だったり具体的、現実的な幸不幸を超える幸せというものもあるのかもしれない。
例えば、この時の私の幸せのような。

私はちょうど繰り返し繰り返しやってくる、当時の学級担任教師からみたら他愛のない、でも当人にとっては身動きが取れないほどのじっとりと陰気でたちの悪いいじめの嵐の生け贄になっていたり、母のレンアイ相手への子供っぽい憎しみや(母は美人の未亡人シングルマザーでした。今なら十分に理解できるけれど・・・)、中学進学をめぐる母との意図の違いについて、ささやかだけれど当人には「私には明日は無い!」と思えてしまうような不しあわせだって抱えていた訳なのだけど、この一曲は私のそういう”コドモの不幸”をスッコーン。と消えさせるのに十分にして余りある一曲であった。
余りあって、翌朝起きてもこの曲が頭の中に流れていた。体がこの音楽の中で動いていた。
また次の朝も、その一週間後の朝も。私の毎日の中で、誰にも見えないところで誰にも聴こえない音が流れていた。

ややこしいフランス語のタイトルなぞ、とても聞き取れなかった私は、記憶を頼りに時折り自分で弾いてみたりした。もう少し大きくなって高校生になった頃、コプラン(クープラン)という作曲家の名前を知り、曲の正体も知ることになる。 
フランソワ・コプラン。
これもまた少女の頃に漫画を通じてかぶれていたフランスルイ王朝のお抱え音楽師だったのである。
曲の名前は「神秘のバリケード」。
ひょっとしたらマリー・アントワネットだって演奏していたかもしれない。

その頃ちょうどピアノのレッスンも辞めてしまっていたけれど、楽譜を探してみたいな、と思った。
思ったまま・・・50代になった。

その曲を聴いた翌朝のようなことはもうそうそうやってこない。ある音楽の、それこそ神秘のバリケードを超えてしまって、ここにいる私とは別のところに自分がいるような。あるいはその逆に、何かが私や誰かの”神秘なバリケード”を難なく超えて、ふっ、とある場所に存在するようなこと。


表現で暮らしを立てている身としては、ちょっと、惜しい。

一昨々日、夜もかなり更けた頃なのだけど、必要があってネットである音源を探していたら、上記の録音に出会ってしまった。しかも大好きなスコット・ロスという夭折のチェンバリストがチェンバロで弾いている・・・


面白くなって、いろいろネットで探してみたら、なんとアメリカのスコアのネット販売会社から、楽譜をいとも簡単にダウンロード出来るということがわかった。

「神秘のバリケード」が開いた、みたいな感じ。ちょっと大げさか。
とにかく子供の頃に通学カバンを投げて大好きだった遊び場に駆け出すように、(なくなってしまう訳ではないのに)、急いでダウンロードしてプリントアウトした。

こういう嬉しさって、何年ぶりだろう!
お隣りに気を使いながら、気がついたら夜中になるまでピアノに向かっていた。

楽しかった。純粋に楽しかった。単純なことだけれど、50年近く抱えていたジグソーパズルの最後の1ピースが見つかってピタっ!と絵が決まる!みたいな幸せ。
シュクダイがひとつ、とても気持ちよく出来上がった、というわけか。


そうそう。
私にはもうひとつ「ロンド」のシュクダイがある。
楽譜はもう、手元に届いている。
難しいのでこっそり練習も大方済ましている。
でも、いつ弾くことができるのか、そもそも弾くことがあるのか。
ちょっとよくわからない。
最初の主題をふんふん・・・と聞き込んで覚えようとしていたらもう第二主題が始ってしまったような感じなのだ。あてもないけど「弾く」時を待っている感じか。
ああ なんだかなぁ。

でも、ロンドの「第一主題」は繰り返し、戻ってくる。
コプランの「神秘のバリケード」みたいに。
ちょっと楽しみ、かもしれない。
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# by nannjyoutamami | 2013-04-27 02:03 | 日常生活  

こわれもの(フラジェイル)の、味。



古いと言われても、凡庸だと言われても、”こういうもの”が好きです。
・・・って唄なわけですが、元歌が歌われているミュージカル映画も生まれて初めて観たディズニーではない映画。なのでもちろん大好きです。

バラの花に転がる水滴、猫のひげ、ピカピカに磨いたやかん、睫毛にひっかかった雪、白銀の冬がとけてゆく春・・・やかんはともかくなんとなくわかります。
大好きなものを数えていると、少し元気になってくる、あの感じ。
大好きなものに触れてみると、少しほっとする、あの感じ。

・・・歌詞を思い出して気がついたのだけど、みんなみんな、儚い脆いものばかり。
マドンナの”マテリアルガール”の好きなものとちょっと違う。半世紀も経ってから見ると、ちょっとぶりっ子のオールドファッションの”お気に入り”(笑)
でも、やはり半世紀も生きてる若おばぁには、そういうお気に入りこそ、無理しなくても元気をもらえる、そういう気がする。


そういえば、とてもとても大好きなお菓子を、これもまた大好きな伯母が今年も送ってくれました。
お誕生日の少し前に届きました。
ちょこちょこっとつまみ食いしたり、バリバリ本を読みながらお相伴に預かって、しばしシアワセな気持ちにならせていただいています。
伯母が一緒だったらもっと美味しいのに!! と思いながら、味わっています。

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京都の村上開新堂という老舗菓子舗のクッキーの詰め合わせです。
私と伯母にとっては、私の母の思い出の味でもあります。
10年ぐらい前、その伯母と一緒に京都旅行に出たときに、どちらからともなく、このクッキーのことを思い出しました。そうそう、T子さん(私の母です)いたら大量に買ってかえるのにね・・・懐かしいね・・・
母が亡くなってからちょうど10年ほど経った頃でした。
以来、しっかり中年になっている姪のために「もうお母さんがいないのだから」と毎年お正月や誕生日に会わせて伯母から届きます(そうです、私たちの祖母を、半世紀も世話してきているすごい人です!)。もう甘えっぱなしのダメ姪・・・
包みを開くと、カリカリのクッキーが、こんな風に詰められています。


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きっと職人さんが丁寧に詰めるのでしょう、直径が5cmぐらいの薄いクッキーも割れていることがない! 隙間にはちいさなちいさな粒みたいなクッキーが入っています。パッキングなのかもしれないけれど、これがまた実に美味なのです。
とにかく。神業です!


頂いてすぐ箱を開け、以来チビチビと頂いています。
「由緒正しい焼き菓子」の極上品の味です。昭和の住宅街には良くあった、門の近くにそこだけポツンと増築された、イギリス風の応接間、みたいな感じの味です(わかりにくいかあ・・笑)。
今風の”スイーツ”と言ってしまうのが惜しい、滋味あふれる丁寧な味です。何世代か時間を経て初めて出せる味。逆にいえば、海外で修行してきた菓子職人の作るスイーツより少しイモっぽい。
由緒正しい日本の洋菓子(だから、スウェーデン人の友人の限られた人にしか振る舞わない! わかってくれそうな人に、一枚二枚と少しだけわけてあげる!)

毎年新春に届くこのクッキーがおいしいのは、もちろんお菓子自体が美味しいのもあるけれど、母の思い出、伯母のどういう風に感謝していいのかわからないような、寛大で暖かい心遣い、そういうものの味そのものです。

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おいしいお茶を入れて(ゼッタイ日本茶です!)、今日もいただきます。
静かな昼時です。
かりっとよく焼けた一枚をクチに入れて、ぱりん。
脆く、くだけます。
ここまで壊れずに届いたのに、威勢良く、割れます。カリカリ・・・いつもの固さ。いい小麦粉の味がします。

そっか。
美味しいものは・・・脆いのね。
(そういうえばフラジェイルという歌もあったよね。私のオバさんコーラスの十八番!)


追記/すいませんすいません すいませんったらすいません!!!
コルトレーンさまは凡庸ではありません。この録音も凡庸ではありません。
ということで、勘弁!
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# by nannjyoutamami | 2013-04-08 21:11 | ごちそうさまでした!