いろいろなことは多分「ロンド」のようなものである。
楽しく楽しく踊っているうちに、次のテーマがやってくる。次の流れがやってくる。
主題とは違う流れになってしまう。
踊り手は踊り続けなければならない。
くり返し記号からもう一度やり直して、あっそうかこうだったのか・・・とやっていると、最初の主題がまた戻ってくる。そんなことを何度か繰り返しているうちに、最終楽章がやってきて、最初の主題を豪華に謳って最後の和音になる。
(踊り手はそこでパートナーと目を合わせてきれいなお辞儀をする!)
この曲を、私は子供部屋にあったFMラジオで初めて聴いた。少し開けた窓から虫の音が聴こえていたような記憶もあるから、おそらく小学校6年生の秋だったのだろう。そのころ私は「バロック音楽の楽しみ」という深夜のラジオ番組に夢中だった。
聴いたとたんに、すごく幸せな気分になった。
話はそれるけど、”私たち”が「フツーだ」と考えるスタンダードで生きている人間は地球全人口の10%にも満たない、統計によっては5%にも満たない、という話を聞いたことがある。
恐ろしい話であるし、エゴイストの私は自分の運命に感謝せずにはいられないのだけれど、ひょっとしたらそういう物質的だったり具体的、現実的な幸不幸を超える幸せというものもあるのかもしれない。
例えば、この時の私の幸せのような。
私はちょうど繰り返し繰り返しやってくる、当時の学級担任教師からみたら他愛のない、でも当人にとっては身動きが取れないほどのじっとりと陰気でたちの悪いいじめの嵐の生け贄になっていたり、母のレンアイ相手への子供っぽい憎しみや(母は美人の未亡人シングルマザーでした。今なら十分に理解できるけれど・・・)、中学進学をめぐる母との意図の違いについて、ささやかだけれど当人には「私には明日は無い!」と思えてしまうような不しあわせだって抱えていた訳なのだけど、この一曲は私のそういう”コドモの不幸”をスッコーン。と消えさせるのに十分にして余りある一曲であった。
余りあって、翌朝起きてもこの曲が頭の中に流れていた。体がこの音楽の中で動いていた。
また次の朝も、その一週間後の朝も。私の毎日の中で、誰にも見えないところで誰にも聴こえない音が流れていた。
ややこしいフランス語のタイトルなぞ、とても聞き取れなかった私は、記憶を頼りに時折り自分で弾いてみたりした。もう少し大きくなって高校生になった頃、コプラン(クープラン)という作曲家の名前を知り、曲の正体も知ることになる。
フランソワ・コプラン。
これもまた少女の頃に漫画を通じてかぶれていたフランスルイ王朝のお抱え音楽師だったのである。
曲の名前は「神秘のバリケード」。
ひょっとしたらマリー・アントワネットだって演奏していたかもしれない。
その頃ちょうどピアノのレッスンも辞めてしまっていたけれど、楽譜を探してみたいな、と思った。
思ったまま・・・50代になった。
その曲を聴いた翌朝のようなことはもうそうそうやってこない。ある音楽の、それこそ神秘のバリケードを超えてしまって、ここにいる私とは別のところに自分がいるような。あるいはその逆に、何かが私や誰かの”神秘なバリケード”を難なく超えて、ふっ、とある場所に存在するようなこと。
表現で暮らしを立てている身としては、ちょっと、惜しい。
一昨々日、夜もかなり更けた頃なのだけど、必要があってネットである音源を探していたら、上記の録音に出会ってしまった。しかも大好きなスコット・ロスという夭折のチェンバリストがチェンバロで弾いている・・・
面白くなって、いろいろネットで探してみたら、なんとアメリカのスコアのネット販売会社から、楽譜をいとも簡単にダウンロード出来るということがわかった。
「神秘のバリケード」が開いた、みたいな感じ。ちょっと大げさか。
とにかく子供の頃に通学カバンを投げて大好きだった遊び場に駆け出すように、(なくなってしまう訳ではないのに)、急いでダウンロードしてプリントアウトした。
こういう嬉しさって、何年ぶりだろう!
お隣りに気を使いながら、気がついたら夜中になるまでピアノに向かっていた。
楽しかった。純粋に楽しかった。単純なことだけれど、50年近く抱えていたジグソーパズルの最後の1ピースが見つかってピタっ!と絵が決まる!みたいな幸せ。
シュクダイがひとつ、とても気持ちよく出来上がった、というわけか。
そうそう。
私にはもうひとつ「ロンド」のシュクダイがある。
楽譜はもう、手元に届いている。
難しいのでこっそり練習も大方済ましている。
でも、いつ弾くことができるのか、そもそも弾くことがあるのか。
ちょっとよくわからない。
最初の主題をふんふん・・・と聞き込んで覚えようとしていたらもう第二主題が始ってしまったような感じなのだ。あてもないけど「弾く」時を待っている感じか。
ああ なんだかなぁ。
でも、ロンドの「第一主題」は繰り返し、戻ってくる。
コプランの「神秘のバリケード」みたいに。
ちょっと楽しみ、かもしれない。